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LOVE&PEACE PROJECT 2018インタビュー① アフガニスタンの「今」(JICAアフガニスタン事務所 次長 上原さん)
2018.09.11

LOVE&PEACE PROJECT 2018インタビュー① アフガニスタンの「今」(JICAアフガニスタン事務所 次長 上原さん)

LOVE AND PEACE PROJECT

LOVE&PEACE PROJECTは、2001年9月11日に起きた、アメリカ同時多発テロとそれに伴うアフガニスタンへの報復の空爆が連日繰り広げられていた時に、お客さまから送られてきた一通のメールがきっかけで始まりました。「大人の事情で子供が未来を奪われてはいけない」という思いから、1枚のTシャツがインターネット投票から生まれ、ニューヨークとアフガニスタン両方のこどもたちの緊急・自立・教育支援のために、基金付きの商品として販売されました。

LOVE&PEACE プロジェクトについてはこちら>>

あれから18年目の今年、あらためてプロジェクトの出発点とも言えるアフガニスタンの「今」についてインタビューを通じて明らかにしていこうと思います。(インタビュアーhaco! スタッフMAKORI)


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MAKORI 今日はJICAアフガニスタン事務所上原次長にお越しいただきました。
JICAさんとは、PBPプロジェクトJICAインド事務所にお世話になったり、JICAブータン事務所でしあわせについての国際会議に参加させていただいたり、退職して青年海外協力隊員になったスタッフがいたりと、何かと交流させていただいているのですが、今回は、PBPプロジェクトの事業地であるインドでたまたま上原さんにお出会いしたご縁から、アフガニスタンについて再度考えるきっかけをいただき、一時帰国中のお忙しい時間の合間を塗ってお越しいただきました。上原さん、よろしくおねがいします。

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JICAアフガニスタン事務所 上原次長(以下、上原) よろしくおねがいします。

MAKORI 早速ですが、アフガニスタンの現在について知る前に、事前情報として、”アフガニスタンってどんな国?”というところをお聞きできますか?結構、日本人にとっては9.11テロ以降の印象が強いと思うのですが、もともとはどんな国なんでしょう?

上原 それではまず、こちらの表を見てください(図1)

図1

アフガニスタンは中央アジアに位置する農業国です。人口の約8割が農家でGDPの20~30%が農業です。国連の定める後発開発途上国のひとつであり、内陸開発途上国(内陸部にあるため輸送コストが大きくかかってしまう国)でもあります。

MAKORI なんとなく、山岳地帯と砂漠地帯があって危ない地域のイメージでしたが、実は農業国だったのですね。そういえば、インドで上原さんにお会いしたときも、産品としてはブドウが有名、と仰っていました。

上原 かつてはシルクロードの重要な拠点として文明の十字路とも呼ばれた地域でした。冬には雪も積もりますし、イメージとは違うかもしれませんね。その山岳地帯から採れる鉱石の一つがラピスラズリ、というわけです。

MAKORI ラピスラズリ!今回、アフガニスタン産のラピスラズリを使ったアイテムの企画もしていますよ!そして、農業国、と聞くとなんだかのんびりした印象をもってしまうのですが、なぜ紛争地域になっていったのですか?

上原 イスラム文化を根底においた様々な変遷を経て、20世紀初頭には日本との国交も樹立されました。おおまかな歴史の流れとしては以下のようになります(図2)

図2

1800年台の中盤~後半には、当時の国際社会の流れを受け、イギリスとロシアの勢力争いの影響を受けたり、第二次世界大戦後はイギリスからのインド独立とほぼ同時に建国されたパキスタンからの影響力の行使など様々な価値観が入り乱れる時代が続きます。冷戦時代の1978年に起きたクーデター(歴史的には「四月革命」と呼ばれています。)では社会主義政権が樹立され、79年には旧ソ連がアフガニスタンに侵攻。以降断続的な内戦状態にあります。
1989年のソ連撤退の後、国内各派による内戦を経て1996年にタリバン政権が誕生し、アルカイダ(ソ連軍と戦うためにアフガニスタン入りしたビン・ラディンらにより結成された組織)もその頃誕生します。その一連の混乱の中で9.11同時多発テロが発生したのです。

MAKORI うわあ、、、そう言われてみると、非常に様々な文化の、まさに交差点に位置する場所なのですね。。。
そして、78年以降断続的な内戦状態にあり、その流れの上でのテロ事件だった、と。

上原 タリバン政権時代は、いわゆるイスラム原理主義の考え方で国が統治されていました。
イギリス保護時代・ソ連侵攻時代に入ってきた別の価値観に対する、イスラム文化への回帰の政権だったのかもしれません。良い悪いという判断は誰にも出来ませんが、タリバン政権時代は犯罪発生率自体は非常に少なかったとも言われています。反面、2001年時点では、下記の社会指標(図3)だけで見てもかなり「生まれる」「生きる」「学ぶ」などの基本的な数値がかなりひどい状態だった事は明確です。

図3

9.11以降、タリバン政権が失脚し、国際社会の支援のもと、暫定行政機構が設置され、復興計画がスタートしました。2004年には新憲法が制定され、第一回大統領選挙が開催。カルザイ政権が発足しました。2011年にはアメリカ軍のアフガニスタンからの撤退が開始、2013年には治安権限の移譲が完了、となってはいます。ただし、国家予算の64%(※2014年)を国際社会に依存している状況でもあり、また、現在でもその国家予算の半分程度(※参考値55%(2010年))が治安関連の支出になっており、現在も旧タリバン勢力との争いは継続しており、現在でも国内でのテロ行為は頻繁に起きています

MAKORI なるほど、知っているつもりで知らないことばかりでした。そういえば、インドでお会いしたときも、なぜアフガニスタン事務所の方がインドにいるのだろう、と思いました(笑)。
では、そんな中、JICAがアフガニスタンで取り組んできたことについて教えてください。

上原 実は日本は今から50年以上前の1950年代にはアフガニスタンへの支援を行っていました。具体的には日本の、より進んだ技術を学んでもらうべく日本での研修に参加してもらったり、農業等様々な分野で日本人の専門家をアフガニスタンに派遣してたりしていました。60年代には「円」を長期且つ低利で上水道事業に融資もしていました。70年代末に、先にご説明したような断続的な内戦状態になったので一部の人道支援を除いて支援を一時停止していたのですが、9.11のあと、わが国の方針のもといち早く支援を再開しました。(図4)

図4

我々JICAは、この方針のもと、
1)農業・農村・水資源開発
2)都市開発・インフラ
3)人間開発(保健医療・教育)
の分野での支援活動を継続してきました。

1)農業・農村・水資源開発の分野では、例えば稲作農業改善のプロジェクトを実施。専門家による技術指導などを通じて改良稲作技術の全国普及モデルの確立を推進したり、タジキスタンとの国境地域では小規模な灌漑施設や農業道路などの農村インフラの整備などを行ったり、日本の一村一品運動に取り組んだりと様々な活動を行っています。先に述べましたように、何より人口の7~8割が農家ですから、農業・農村への支援はまず欠かせません

2)都市開発・インフラの分野では、急激な人口増加に直面しているカブール首都圏の将来的な都市計画づくり支援やその計画に沿って都市基盤の整備や行政の能力向上の支援を行ったりしています。また、アフガンは内陸国なのでヒト・モノの移動は基本陸路になるのですが、治安状況や国境を接している国との外交関係に輸送が影響されやすいため、最近、アフガン政府は特に周辺国との間で貨物・旅客航路の開拓に力を入れています。これに対して今までもカブール空港の整備の支援などを通じて支援しているところです。

3)人間開発(保健医療・教育)の分野では、施設整備や制度整備の支援に取り組んでいます。そのうち保健医療分野では、WHO(世界保健機関)やUNICEF(国連児童基金)とも連携しながら結核やポリオ等の感染症対策への支援を実施しています。最近では日本の母子手帳の制度をアフガニスタン全国に導入すべくUNICEFと組んで支援しています。成人の識字率が30%程度と低く、特に女性となると更に低いのでイラストを多く使用するなど工夫しています。一方、教育分野では今申し上げた低い識字率の改善に取り組んでいる他、聴覚や視覚の障がいをもった子供たちの学習環境を改善すべく先生方の教育指導方法の向上を支援しています。アフガニスタンという紛争影響下にあって国自体が脆弱な中、更にその国内で社会的に弱い立場にある女性や障がい者たちへの支援に配慮・留意しているのが日本の支援の特徴と言えます。

MAKORI まったく知りませんでした。。。紛争の真っただ中に飛び込んで、それだけの事を日本として取り組んで来たなんて、、、。軍事力以外にも、復興の力になる事が出来るという事は民間企業としてもすごく勇気をもらえます。
図4の中に、分野横断的人材育成という事が書かれていますが、これはどういう事ですか?

上原 日本の国際協力の基本方針の一つが「自助努力」の支援です。つまり、開発途上国自身の自助努力を後押しし、将来の自立的発展を目指すのが日本の開発協力における伝統的姿勢です。平たく言えば、対処療法的な支援だけでは真の意味での国の自立につながらないと考えます。先に述べましたように、まだまだアフガニスタンは国家予算の約三分の二が国際社会からの援助で成り立っていて、国家としての自立的な運営もまだまだ途上にあります。そんな中、未来の国づくりを担う人材に日本に留学してもらい、日本のさまざまな大学で専門分野に関する教育を受け、その学びを国の運営に活かしてもらう、というプロジェクトを実施しています。プロジェクト名を「PEACE」といいます。Project for the Promotion and Enhancement of the Afghan Capacity for Effective Developmentの頭文字をとって付けましたが、勿論、平和への願いが込められています。

MAKORI 「PEACE」!! まさかここでその名前が出てくるとは!具体的にはどんな事なんでしょう?

上原 3つの重点課題における各分野に関して、政府の若手人材に日本の大学に留学して学んでもらい、修士や博士の学位を取得の後、アフガニスタンに帰国して、学んだことを国家運営に活かしてもらっているのです。これまで565人の学生を受け入れ、既に400人に上る人たちが学位を取得して帰国して日々の仕事に活かし、バリバリと業務に取り組んでくれています。

図5

図6

MAKORI えええ!!という事は、9.11を経験したこどもたちが平和なアフガニスタンを目指して日本で勉強している、ということですか? 今も日本にいるってことですよね?

上原 そうなりますね。あの時代を経験したアフガニスタン人が、本当の意味で主体的に学び、その事を未来のアフガニスタンのために活かしてくれたら、と思います。

MAKORI もし、学生さんが日本にいるなら会いたいです!話を聞いてみたい!

上原 セッティングしてみましょう。

MAKORI よろしくおねがいします! ちなみに、やはり女性だから気になるのですが、男性531人に対して、女性が34人と極端に少ないのですが、これは何か理由があるのですか?

上原 良いところに気づきましたね。実は、アフガニスタンには、「パルダ(現地の言葉でカーテンという意味)」と呼ばれる男女隔離の考え方が今もなお根強く残っています。ある一定の年齢になった女性は、家族関係にある男性以外の接触は禁じられます。家族によっては外出も禁じられています。基本的に女性は男性に従属する存在、女性は男性の従順な妻であって、親にとっては良き娘であり、子供を育てなければいけない。こういった女性を取り巻く社会規範は女性の社会進出や教育、経済参画の面で、非常に厳しい状況に置かれています。女性の7割は字が読めません。就学率はタリバン政権の時は、学校に行ってはいけないという教えのため0%でした。初等教育についてはその後国際社会が支援を行ったことで、41%の割合となっています。他にも、幼児婚、DV、性暴力の問題など、女性の社会進出を阻害する課題がたくさんあるのです。

MAKORI 同じ女性として本当に心が痛いです。haco!のお客さまもほとんどが女性なので、もう少しそのあたりのお話も、詳しく聞いてみたいのですが。

上原 そうしたら、その分野の専門家を次回お連れしましょう。アフガニスタンで実際に現地に入ってジェンダーの問題に取り組んできた女性がいま日本に居ますので。

MAKORI ありがとうございます!先ほどのPEACEの子たちのインタビューとも合わせて是非!

では、上原さんへのインタビューの最後に、一言お願いします。上原さんがいま一番課題と思っている事はなんですか?

上原 やはり、アフガニスタン支援の根っこは「人間の安全保障」だなあ、と思います。個人の保護と能力強化により、恐怖と欠乏からの自由、そして、一人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求すべきという「人間の安全保障」の実現であると。
我々でさえもなかなか現地カブールに行けない状況もありますが、これからもそのことに取り組んでいきたいと思っています。

MAKORI 今日は本当にありがとうございました。
PEACEのインタビューとアフガニスタンの女性の自立支援について、次回伺います。

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