なにもしらない画廊 ⑥「発掘!! ビエンナーレで美術館賞とったアート」【作者・島州一(しまくにいち)】
なにもしらない画廊こんにちは。しらん氏です。
いつものようにアートを物色していたら、何やら小さく畳まれた、布のようなものを発見。(わくわく)
しかも、大量にある!(さらにわくわく!)
わくわくがいっぱいで、満面の笑みで布を広げたら、「え!めちゃデカい、
原寸のおふとん~~!」
今までの版画とは何もかもが違いすぎです。
・紙じゃなくて、布
・多色じゃなくて、単色
・絵柄じゃなくて、写真
・額装できそうにないサイズ感(実物大)
(なんだ、これ!わくわくわく!)
「島州一ってサインがあるけど、いったいどんな人なんだー!」と早速調べるとすぐに、島さんのホームページを発見。
お名前なのですが「しゅういち」ではなく「くにいち」と読みます。1970年代から活躍された方のようで、70年代の作品は写真を元にしたものが多く、ニクソン・周恩来の顔を椅子と蒲団に刷った作品でジャパンアートフェスティバル大賞受賞したり、
写真:美術出版社 SHIMA websiteより引用
田中角栄と周恩来の顔を1万個のさざれ石に刷って、個展終了後川に返すイベントをしたり。(周恩来が好きだったのかな?)
写真:安斎重男 SHIMA websiteより引用
1万個の石に顔プリントって、100万体のマリリンのスズキシン一さんを思い出しました。河原で遊んでてこの石つかんだら、ちょっとぎょっとするけど、絶対家に持って帰って、早くこの石の話をしたくてしたくて、気分高揚した足取りで帰る姿を想像しました。今もどこかの川や海にひっそり潜んでいるのかなって想像すると、どの川に放流したのか気になってきた。見つけに行きたい。
そして今回見つけたのは、この年代に発表された版画作品を見つけたようです。
SHIMA websiteより引用
1974 年、東京国際版画ビエンナーレで長岡現代美術館賞を受賞した「シーツとふとん」!なんと、ビエンナーレで美術館賞を受賞した作品を見つけたということになりますね。すごいもの見つけたな。この倉庫にはこんな名誉な賞を受賞した作品が眠っているのか…。ますますいろいろ探し甲斐がある!
そして見つけたのは、シーツとふとんだけじゃなくて窓・水たまり・ジーンズ・チェゲバラなど様々なモチーフがプリントされた作品たち。
この時期の作品は、現代日本美術展でコンクール賞、ジャパン・アート・フェスティバルで大賞、クラコウ国際版画ビエンナーレ展など、国内外の版画展に多数版画作品を出品し賞を得たようです。
これらの作品を発表後に島さんは1980年欧米に留学。留学後からは写真を作品には使わなくなり、80年代以降特にしらん氏が好きな作品は、この「影の梱包」。
椅子の周りにできる影をずっと追いかけて、その影の軌跡を木材で囲い込む作品なのですが、こういう誰もが何とも思っていないような日常の風景を見逃さず、真剣に向き合って形にする姿勢にとても憧れるし、とても心動かされる!めちゃくちゃカッコイイ!毎日これに座りたい!
これなんて、ピアノの影の梱包!弾けるか弾けないかが問題ではない。影を梱包するのだ。
版画にしても、影の梱包にしても、実物大でやってしまうところに何かこだわりを感じます。
いろいろ調べていると島さんのflickrにたどりつくのですが、「あれ?思ってたんと違う」作風を発見。
巨大なおふとんの写真で出会った島さんの作品。単色で写真を実寸大でプリントしていたのが、ある時から色とりどりで手作業感溢れる作風へと変化しています。
島さんのホームページはとても丁寧に作りこまれていて、作品についてはほぼこのページで網羅することができます。じっとり拝見すればするほど、ある気配に気が付きました。
「ただならぬ発信の力を感じる!」
実は島さんは昨年の7月に亡くなられたとプロフィールに記載があったのですが、それにしてもそれ以降にもページからのただならぬ前向きな力を感じて、「これは!」と思い連絡してみました。
そしたら「夫より17歳年下の66歳のオタクです。」という冒頭から始まる心躍りまくるお返事が!そして光栄にもお電話する機会をいただけ、島州一さんについてお話を伺うことができました!そしてしらん氏が感じていた発信の力は奥さまからのエネルギーで、島さんが生前より全て奥さまがホームページを制作されているとのことでした。すごい。
ここからは奥さまからお伺いしたお話を、お伝えしたいと思います。
まず最初に教えてくださったのは、「表現形式はいろいろあるけれど、本人には一貫した意思がある。」「全ては今までの延長線上で、どこに関係性があるのかが非常に難しい。」ということ。
そして今回しらん氏が見つけた70年代の作品は、日本でとても評価されたものだそう。
島さんが80年代に欧米へ留学してからは、写真をつかわなくなり学生時代にやっていた自分で描くというものに変化していく。留学先で作風がガラっと変わり、日本に戻ると全く理解されなくなっていて、70年代の「島さんかっこいい!」という反応はなくなり「70年代のものは評価するけど、今のものはあんまり」という人までいたようです。
なぜそんなに作風が変わったかとお聞きすると
70年代に取り組まれていた版画制作は、工業生産的に人の力をかりながらやっていた。そうではなくて、1から自分で紙に向かって描くということをすると、いくら絵描きや画家や作家といっても、そうそう書けるものではない。留学先のアパートの窓の線1本描くのがどれだけ大変だったか、という話を島さんはされていたようで、そしてもう一度そこから始めることをしたようです。そして、相手にされなくても自分は発表したいという想いが強く、隅から隅まで自分で描くことに徹底された。島さんは多摩美術大学の絵画科出身で、「本当の意味での絵画、学生の頃に思っていた絵を描きたい、自分で1から絵を描きたい」と感じていたとか。
1枚、80年代に制作されたこちらの作品も見つけました。
この作品はDRUM PAINTINGNGと言って、島さんはこんな風に説明されています。
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丸い円筒に紙やカンヴァス、フィルムを巻き付けてその上に絵具が付いた筆でけさ掛けに斬りつけるように叩き付けて描いた後に、巻き付けてあった平面の素材を円柱から取り外して、平らに拡げたときに出来た痕跡がドラムペインティング
“Drum Painting” と名付けた作品となって生まれた。
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90年代に東京からアトリエを移して制作の場を定め、奥さまと長野にお引っ越し。以降は自分に向かうスタイルで、世間とはコンタクトを取らないような時期もあったが、発表はコンスタントに続けていたそう。
ホームページを見ていただけるとわかると思うのですが、島さんは本当にいろんな手法で表現をされていて、文章もたくさん執筆されています。自分が描くことの意味や、表現したものをきちんと理論立てておられ、全てに筋道がある。アートに未熟なしらん氏も筋道は感じられるのだけど、奥さまのおっしゃられた「本人の一貫した意思」をまだまだ掴むことができていません。
奥さまからお電話の最後に「作品をみる程に混乱しそうですが、付き合ってあげてください。」の言葉通りしらん氏混乱中ですが、ぱっと作品を見た時の「好きの直観」を信じてこれからも理解を深めていきたい作家さんの一人です!
そして2019年の幕開けと同時にまた気が付きました!奥さまTwitter始めている!
なんて素晴らしい!すごいエネルギー!いつも一番近くで島さんの制作を見守り、今も発信し続ける奥さま。本当に感動。作品の素晴らしさだけでなく、お二人の人間性を感じられて幸せな気持ちになるアートとの出会いでした。
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【後日談】
やっぱりさざれ石をどの川に流したのか、気になったので奥さまに聞いてみました!神奈川県の金目川(かなめ川)に流されたそうです!今この記事を読んでくださってる方で金目川の近くにお住まいの方はいませんか!探してみてほしい!
ここで詳しく島さんご本人が書いてくださっています。