CONTINEW haco!


未来へ残していきたいもの、大事にしていきたいものを
どんどん生み出すhaco!のパッションまとめ


Stitch by Stitch – OPEN –
2020.12.21

Stitch by Stitch – OPEN –

Stitch by Stitch

PEACE BY PEACE COTTONPROJECT がはじまったのは、まだhaco!がhaco.だった2008年のことでした。ファストファッションが日本に上陸したと言われている年です。

たくさんのお洋服が、手に入れやすい価格でどんどん手に入る時代がやって来たと同時に、そのお洋服の原料となる綿花を栽培しているインドの綿農家が危機的状況にあることを知りました。

綿花をたくさん栽培するために、遺伝子組み換えの種や農薬や化学肥料を買わされ、お金がないので借金させられ、でも収穫を増やすことが出来ず借金が返せなくなり、30分に1人とか、年間3万人とか、10年で8万人の綿農家が自殺していた、という現実がそこにはありました。

借金のもととなるものを買わなくて済む農法こそが、有機農法(オーガニック栽培)でした。有機栽培された綿花の事をオーガニックコットンと呼びます。

綿花の全生産量に占めるオーガニックコットンの比率は非常に少ないけれど、まずオーガニックコットンを使った製品を増やして流通量を増やす。
そして、その製品販売を通じて得た資金によって、綿花栽培の有機農法への転換を支援する。これを続けることで、理論上はどんどん状況が改善していくのではないか。
そう考えて、お客さまに助けを呼びかけて、本当にたくさんのお客さまにオーガニックコットンのアイテムを購入いただき、
製品についた100円〜300円の基金を活用させていただき、インドの綿農家の有機農法への転換支援に取り組んできました。

最初は綿農家の自殺問題からスタートしたプロジェクトでしたが、そういう綿農家では多くの子どもが学校に行けずに働かされていることを知り、
プロジェクトへの参加条件として児童労働の禁止を掲げ、子どもたちが学校に戻ったり通ったりする支援にも取り組みました。また、勉強した子どもたちが高等教育にすすむための奨学金にも基金を活用させていただいてきました。

ステッチ・バイ・ステッチプロジェクトの構想がうまれたのは、2014のことです。

その時点で、PBPのオーガニックコットンアイテムは27万点以上販売され、基金総額は7600万円に達していました。支援地域もどんどん拡大し、有機農法に転換した農家は7588世帯、小中学校に復学した子どもたちは1579名、高校・大学へ進学した子どもたちは364名になっていました。

これだけの規模になってくると、現地で起きてくる課題もどんどん複雑になっていました。特に顕著になってきたのが、女性の自立支援、いわゆるジェンダー問題です。
村の中での女性の立場を向上し、女性の収入を増やし、社会的な認知を高めていく取り組みが求められてきました。

インドの農村と言っても、実質は明治大正昭和初期くらいの日本の農村とすごく似ていると思います。農村の女性というのは本当に働きもので、早くから結婚してたくさんの子どもを産み、育てながら、朝から晩まで働いています。
綿農家の女性たちは、綿花の閑農期には、別の作物を育てたり、養鶏場を作ったり、溜池を作って魚を育てたり、土木工事をしたりと本当に身を粉にして働くのですが、どうしても現地のマーケットでの販売だと販売価格も低く、あまり現金収入にはつながりません。
男性に言われてやらされている面もありました。なんとかいいアイデアはないかなあ、と思っていました。

何度もインドに通っていて、日本の女性に一番喜ばれたお土産が、手刺繍のストールでした。デリー近郊の地場産品を扱うお土産屋さんにはだいたい売っていて、モノをしっかり見定めれば、カシミアに全面手刺繍のストールでも、数千円で買うことが出来ます。それこそ、日本で買ったら数万円しそうなものでしたが、売っているのが作っている本人たちで、きっと現地と日本の価格差によって安く売れているのだと思います。

デザインはなかなか微妙なものが多いのですが、探すと、お!というようなものもあり、買って帰ると奪い合いになることもありました。
その時も、デリーでお土産を買っていました。
たくさん積まれたストールの中からいい感じのものを物色していたとき、ピン!と来ました。

現地の彼女たちが手刺繍を身につけてくれたら、重労働をしなくても、家で空いた時間に仕事を出来るし、それこそファッション業界からオーダーを取れるようになるかもしれない。
綿花を栽培している彼女たちが、畑にいない時はそういう仕事をするようになる、というのはとても夢がありました。

ちょうどその頃、別のお仕事でお付き合いのあった刺繍アーティストの二宮佐和子さんに「二宮さん、インドで刺繍教えてみない?」と声をかけました。二宮さんも即答で「やります」と答えてくれました。

2015年、二宮さんを連れてインドに行って、刺繍教室がはじまりました。
このプロジェクトは、ステッチバイステッチと名付けられました。