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未来へ残していきたいもの、大事にしていきたいものを
どんどん生み出すhaco!のパッションまとめ


haco!のLOVE PEACE PIECE宣言【特別対談】
2021.12.24

haco!のLOVE PEACE PIECE宣言【特別対談】

haco!の前身となるNUSYの誕生、そしてラブアンドピースプロジェクトから20年、
まさに成人を迎えたhaco!ですが、来年から大きく変わろうとしています。
その事についてフェリシモ矢崎社長とhaco!スタッフBOSSの対談をお送りいたします。

―――まずは今のhaco!ができるまでの歴史をお伺いしたいと思います。
20年前にタイムスリップして、あの頃どんな状況やお気持ちでhaco.の前身であるNUSYを考えられましたか?

あの頃は『どうしたら若い人にフェリシモを知ってもらえるだろう』という思いがはじまりだったよね。
フェリシモは昔から、お客さまとの永続的な関係性を重視しているから『今いてくださるお客さまに、どんな価値を提供できるだろう』という事を常に考え続けているんだけど、まだ出会ったことのない人にとっては、フェリシモは遠い存在でもある。
当時は“はいせんす絵本”という大きなカタログがあって、その中で若者向けの商品を販売していたけど「商品を作りました!」だけではフェリシモの外にいる若い人には伝わらない。
いちばん良いのは、新しく、若い人のためのフェリシモみたいな存在が出来上がることだと思ってたよ。
あの頃、Appleにスティーブ・ジョブズが帰ってきて、商品はもちろん、流通のさせかたも何もかもをすべてを変えた。それに近い。そういう事ができるといいなあ、と。

株式会社フェリシモ
代表取締役社長

矢崎 和彦

昭和30年7月、大阪市生まれ。学習院大学を卒業後、フェリシモの前身、ハイセンスに入社。62年に社長に就任。商品カタログを書店で販売するなど事業を拡大させる一方、阪神大震災後の1口100円の寄付、世界の子供に手作りのぬいぐるみを届ける「ハッピートイズプロジェクト」など、社会貢献活動にも力を入れる。

そういえばNUSYが出来るよりも前、まだ社内のプロジェクトだった頃にしきりにそういうお話をされていましたよね。「どんな商品なら買ってもらえるかじゃなくて、どんなコンセプトなら受け入れてもらえるかを考えろ」と。
その中で生まれてきた考え方がNUSYのコンセプトに通ずる”等身大”。
僕よりも上の世代が、バブルが弾けてファッションもストリートが発信するようになって、みんなでワイワイ言いながら、いま自分が欲しい物をつくりましょう!と。
それでNEWSY(ニュースが多い・ザワザワしている)という言葉を口語にして“NUSY”になった。

そうだったね。NUSYは最初に、お客さまとシャツを作ったでしょ。

作りました!お客さまと投票で柄やデザインを決めていった、クローバーシャツ!
まだインターネットが黎明期で、自分で投票のプログラムを書いたりして、懐かしい…。

株式会社cd.
代表取締役社長

葛西 龍也

昭和51年10月、岐阜生まれ。大阪大学を卒業後、フェリシモに入社。株式会社Cd.代表取締役、株式会社LOCCO取締役、一般財団法人PBP COTTON代表理事を務める。「事業活動を通じた顧客との共創と社会課題の解決」をモットーにさまざまなプロジェクト、市場開発、事業開発、事業提携に携わる。

そんなことを始めていたら、君が9.11のTシャツのことを言ってきた。

はい、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロのとき。
お客さまから「毎日テロのニュースが流れて悲しい気持ちになる。NUSYでどうにかしてください。」という1通のメールを受けて、どうにかしたい!と。
デザイナーさんに相談してTシャツのデザインを何パターンか考えてもらって、お客さんに投票を募って。

そこから、あれよあれよとTシャツが出来ていったよね。
もともとフェリシモの外にいる人にもアプローチしたいと思っていたわけだから、君が新聞広告を出したいと言い出して。ダークネイビーにオレンジのプリントっていう微妙な色合いのTシャツだったのに、モノクロで。モデルも使わず、社員が出て。
どうなるかなあと思ったけど、びっくりするぐらいの人に伝わったね。ものすごい数のTシャツを求めていただいた。

―――それがいまも続く、LOVE AND PEACE PROJECTですね。
何度も伺っているお話しですが、共感から実行までのスピード感と結果にいつも感動します。それだけ当時たくさんの人が同じ気持ちを抱えていたのですね。

プロジェクトが始まったとき、社長はこの動きをどう捉えていましたか?
若いヤツにやらせてやろう、なのか、矢崎社長から見てもはじめての事があったのか。
正直、あのとき僕はプロジェクトの渦中にいたので毎日本当に大変で。
そんな中、矢崎社長は「ひとりひとりの気持ちが世の中を動かすんだよ」と言って奮起させてくれて。色々な人にも連絡していただいたし、たくさんの人に協力してもらいました。
社内だけじゃなく、新聞社の人も協力してくれたし、中国の工場も休み返上で生産してくれて。

そのときすでにフェリシモの森基金はあったし、ユネスコとコラボレーションしたTRIBUTE21プロジェクトもやっていた。フェリシモは昔から事業性・社会性・独創性の重なるところを事業領域にするって言い続けてきたから、ベースはもうあった。それを、NUSY流に捉えて表現しようとしているんだな、と思っていたよ。だから、行け行け!って感じだった。
新聞広告も、その頃はマスメディアにお金を出して広告を出すよりも、自分たちがメディアになりたいと思っていたから、ほとんどしていなかった。でも、このプロジェクトはこれまでの延長線上ではないプロジェクトだったから、とにかく背中を押したよ。
ああいう悲惨な出来事が起こって、その中でなんとかしようとみんなが動き出していて、このプロジェクトに関わっている人たちの息吹というかスピリッツみたいなものがビシビシとあったんだよね。

広告に使う写真も、最初は海沿いでキレイな写真を撮っていたんですけど、社長に見せた時に「こんな写真じゃ伝わらない!撮りなおし!」と言われました。
たしか入稿日の2日前で、目の前が真っ暗になったのを覚えています(笑)。結果、翌日に社内のカメラが上手な人に頼んで、社員にモデルになってもらって、あの写真になったんですよ。

そうやそうや、思い出した!
自分たちがコンセプトとして伝えるべきところは、最後まで妥協したらダメ。
みんなのエネルギーをそのまま伝えないと。

いま思えば、すべてが驚くほどコンセプト通りに展開していたんですね。
みんなでわいわい、いま自分が欲しい物をつくろう、というコンセプトで等身大のブランド=NUSYが出来て、それが、みんなでわいわい、世界の課題に向き合う、ということになった。
思い返すと、社長からはこの20年間ずっと「お客さまとともにわいわいしながら色々なことをしろ。つくりあげていけ。そういう人たちを応援していけ。」とおっしゃってもらっていました。

―――そのスピリッツは今もhaco!に息づいてますよね、働いていて感じます。めちゃくちゃコンセプトに厳しい。(笑)

そんな風にNUSYが生まれ育つ中、当時他にもいろんな志をもつファッションブランドが「はいせんす絵本 ファッション編」の中にたくさんあって。
その中から同じ志で集まった人たちでできたのが、haco.というカタログ。
それはそれはセンセーショナルなデビューを飾って、ひとつ大きな時代になりましたね。

すごかったよね。
商品は買ってなくてもhaco.のカタログは持ってます、とか。写真が素敵で切り抜いてますとか。採用面接でも学生によく言われた。
度々行くマッサージ屋さんの待合室に置いてあってびっくりしたり(笑)。
haco.は商品を載せたカタログ、ではなく、文化だね。

その頃はアナログ時代の最後というか、本屋さんやCDショップで自分の好きなテイストのカルチャーを探すのが本当に楽しい時代でしたね。ちょっと前のような感覚だけど、もう17年も前なのか…。
社長はずっと「haco. は文化だ」と言ってくださっていましたね。
「haco.が学校してみたらどうや」「haco.が専門の靴屋さんやとしたら、どんな靴屋さんなんや」とか、とにかくもっといろんな事に取り組め、と言ってくれていました。

―――文化といえば、最近は世間がSDGs一色になってきています。
BOSSのご著書の題材でもあるPeace by Peace cotton projectはどんな風にはじまったんですか?

たくさんの人にLOVE AND PEACE PROJECTに参加していただいて、たくさんのTシャツが生産され、プロジェクトは成功したと思ってた。
でも実は、Tシャツを作るための原料となる綿花を作っているインドでは、たくさんの農家さんが農薬や化学肥料、遺伝子組み換えの種を買うために借金をして、その借金を返せずに自殺していることを知ったのがきっかけです。
2008年にスタートしたんだけど、その年って日本にファストファッションが上陸したと言われている年で、自分たちだけではなく、世界でもどんどんお洋服が安くたくさん売られていくことが決まっていて。
値段が安くなって量が増えるということは、使う綿花はどんどん増えていくわけだから、このままだと農家さんがどんどん自殺してしまう。しかも少し調べてみると、そういう農家の子どもたちはほとんど学校に行くことも出来ず働いているという事もわかって。そういう社会構造をなんとかできないか、というところから始まりました。

―――そのあと起きた、東日本大震災のときには、G.N.P.(ガンバロウニッポンプロジェクト)もスタートしましたね。日本の産地を巡って日本製の商品を広げていく取り組みでした。

社会の課題や時代の空気に対して、ただ寄付するんじゃなくて、どうしたら事業を通じて解決できるか、お客さまと一緒に解決できるかって考えるところって、フェリシモのDNAだと思う。それはなんでなんでしょうね?

僕は事業性・独創性・社会性の同時実現と言い続けてきました。
それは企業活動と社会貢献活動を分けて考えるのではなくて、同一のものとして捉えることで持続可能になると考えたから。さらに、それらの活動を行う人や、組織の創造的な関わりがあることで、生み出せる価値の質が飛躍的に高まるんだよね。

これまでも企業と社会の関係性はいろいろな言葉で表現されてきた。
メセナ、CSR、最近はSDGsなど、用いられる言葉は変わってきたけど、本質的な部分は変わっていないと思うんです。
だけど、どこかで企業活動と社会活動を切り離して捉えるという思考が働いている。
「事業で上げた利益を、社会的な活動に寄付する」という発想はここから来ていて。それはそれで素晴らしいことだけど、ある時、ふと疑問に思ったことがあるんです。
『それって持続できるの?』と。

例えば、阪神淡路大震災の後にたくさんのボランティア団体が出来て、復興支援や被災者のケアに取り組んでくれたのですが、活動原資は国や自治体からの補助金、そして企業や個人からの義援金が回されていきました。
最初のうちはそれでも良かったんだけど、徐々に資金が少なくなって活動を停止してしまった団体がたくさんあって。

企業はさまざまな仕組みを持って事業活動をしているよね。
フェリシモにもたくさんのリソースがある。
全国にお客さまがいらっしゃって、カタログやウェブメディアを持っていて、何かを構想してカタチにできる企画者が大勢いて、商品を作ってくださるお取引先があって、それを届ける仕組みもある。
それらを有効に活用して、事業活動と社会的活動が両立できるようにすると、本業にも、従業員にも、負担がかからない。だから継続した取組が可能になる。

―――始めることよりも、続けることの方が難しく気力のいることですよね。
仕組みを生み出し、実際いまも約56年間のあいだちゃんと継続していることに、社員ながら素晴らしいなと思ってます。

もうひとつ、大事な観点がある。お客さまは商品を買うために生きておられるわけではないこと。
商品はお客様の人生や生活の一部でしかないわけでね。
新入社員が入社してきたときに必ず言っていることだけど「つくる人」「買う人」「売る人」って役割分担で考えてはいけない。たとえばずっと自分が「売る人」をやっていると、お客さまはずっと「買う人」でしかなくなってしまう。でもそうじゃないでしょう。
だからフェリシモではお客さまは素晴らしい未来を一緒に創っていくためのパートナーだという考え方をもっています。フェリシモの森も、被災地支援も、ハッピートイズプロジェクトもお客さまとともに活動してきました。

これの原体験は何十年も前だけど、”パザパ”っていう雑誌を発行していた頃、お客さまに記者になってもらって海外取材をしよう、という企画があって。どこに行きたいですか?と何十万人ものお客さまにお聞きしたらフランスにという声が多かったので、フランスに取材に出かけたことがありました。

フランスに、お客さまと!?

そうそう。すごく長い時間をかけて厳正に選ばれた素晴らしい方々と行きました。取材の中身の話をすると長くなるので省くんだけど、その取材ツアーで全員の人と仲良くなってね。取材中、僕やスタッフが会社のロゴが入ったメモ用紙を使っていたんだけど、みなさんが「私もそれが欲しい!」と言い出されたんです。僕は、驚きました!何故だろうか…と考えて、こういうふうに思ったんです。
「私はレポーターとしてフランスに来た、当事者として参加した証が欲しい。」「お客さま扱いされたくない。」というメッセージだと。フェリシモの活動にもっともっと積極的に参加したいと思ってくださっていたわけです。お客さまの代表としてご一緒しているわけだから、どこかお客さま扱いしてしまっていたのかもしれないなあ…と思って反省しました。つくる人・売る人・買う人なんて区別はなくて、みんな毎日を、未来をもっと良くしたいと考えている人間同志なんだよね。

消費者と呼ばない、というのは大前提で、お客さまの可能性とか主体性とか、お客さま主導。
お客さまは神さまですではなく、お客さまが主役ですよね。

―――2015年には、カタログをやめてウェブサイトに集中するという決断がありました。
haco.が、haco!になった瞬間ですね。

「カタログが大好き!」と言ってくれるお客さまも本当にたくさんいてくださったし、何より自分たちもカタログを作るのが大好きだった。今でもカタログ作りたいなあ、と思ってるし。
でも、大きな流れでいうと、だんたん社会の熱量がインターネットという場所に移っていったような気がする。検索でも、地図でも、旅行でも、なんでも紙でやっていたのが、どんどん変化していっていた。それを無視できないというか、インターネットという変化に対して、その世界でしっくりくる場所をつくりたい、と思っていたんだよね。

もともとhaco.は、はいせんす絵本ファッション編の一部じゃダメ!と切り出して、生まれたじゃない。時代がだんだんインターネットの時代になっていったなら、カタログにとらわれるのではなく、まったく新しい文化をインターネットの世界で作れ、という気持ちだった。
20年前が今だったとするでしょ?
情報の作られ方、発信のされ方、メディアのあり方はまた全然違っている。
もし今が20年前だったとすると、haco!もまた全然違うものを作っているはず。
それくらい、これからを飛び越えていかなければいけないね。
みんなスマホを持って、情報の発信者にはなった。そこだけは民主化されたけど、それ以外の社会楮は何も変わっていないところもたくさんある。その次のステップに行くべきだよ。

―――2020年には、haco!事業そのものを別会社として運営する決断がありました。
様々な葛藤もお有りだったと思いますが、ここにかけた期待や思いなどお聞かせください。

まあ、会社にしたい、と言い出したのは彼(葛西)なんだけど(笑)。
後押ししたのは、フェリシモという枠の中で出来ることっていっぱいあるけど、フェリシモの外枠で出来ることもたくさんあるだろうなと思ったから。
取引も事業も、縛られないで自由に出来る事もあるかもしれない。そこに期待した。

ほら、例えば、Instagramっていつ出来た? TikTokっていつ出来た?何もなかったところに生まれたものが、たくさんの人の支持を受けて時代を作っている。
やろうと思えば何でも出来るという装置に、haco!は装置になるんだよ。
どんなことだって、誰かが何かを思うところからはじまるわけだよ。こうしたらいいな、と。
思ってもやらない人と、思ってやる人がいる。
でもね、社会や未来は思ってやった人がつくってきているわけです。
思って、やらせてあげられる存在で僕はありたいと思っているし、haco! は社会にとってそういう存在であって欲しい。ドリーマーが集まるプラットフォームになってほしい。

そんなのになりたいなーーー!

なれるよ! なんでなれない?
アナログの時代でさえ、フェリシモでお客さまと森をつくりたい、と思った。
お客さまにはカタログを通じて呼びかけて、注文用紙という欄で要望を受け、入金の仕組みを使って寄付していただいた。今はクラウドファンディングの仕組みとかいろいろなものがあるし、今ならなんでもできるはずだよ。何が出来るのか。何をすべきなのか。素晴らしいhaco!の仲間たちと一緒に考えて行動していって欲しい。

自分たちのいる場所だけが世界じゃないんだよ。
haco!は文化と言ったけど、あるべき未来を創り出す存在となって欲しい!
志のあるプラットフォーマーになってくれ。

(キラキラした目で社長を見ている)
―――まさに今回、これからのhaco!はLOVE・PEACE・PIECEのプラットフォームと変化していくことを決めました。この対談を公開させていただく同日に、BOSSの宣誓も公開します。

今回のお話しで改めて、LOVE・PEACE・PIECEの言葉がもつ意味が時代や世代によっても変わってきたこともわかりました。社長の思うそれぞれの言葉の意味を教えてください。

「LOVE」
無条件にあたたかい。純粋。
僕はすごく好きだなあ。
さっき話した国連の仕事で「LOVE」をテーマにして動いた事もあった。
LOVE WHY? っていうプロジェクト。LOVEというカタログもあったんだよ。大好きだ。

「PEACE」
平和であることがどれほど、素晴らしいことか。これはそれが乱された時にその価値がわかります。
戦争、貧困など平和じゃない今を生きている人がたくさんいることを忘れてはいけないと思う。
コロナ・ウイルスで平穏、平らさ、和が乱されたわけでしょ?
世界中の人々の毎日が平と和で成り立っていてほしいかな。

「PIECE」
一つじゃ弱いけど、集まった時に大きな力になる。微力だけど無力じゃない。
ひとりの人の想いからしか変えられないことがあるし、その小さな思いに共感する人が集まったら社会を変えられる力になる。

―――最後にひとこと、LOVE,PEACE,PIECEになるhaco!に声援をお願いします。

「LOVE,PEACE,PIECE」は自分の夢と、社会の夢を同時実現することって捉えたらいいよね。

クラウドファンディングって作りたい人がいて「やりたいです」「ひとりじゃ無理だから手伝って」っていうことだけど、日本には1億2000万人いて、地球上には87億人いる。
みんなに、好きなことできたら何したい?って聞いたら87億以上の夢が集まるかもしれない。87億種類の夢ってすごいよ。それをビジネスという仕組みを使って実現していけるhaco!になってほしい。

僕は小さい頃絵を書くのが好きで、親が24色の色鉛筆を買ってくれた。
それから時間が経って500色の色鉛筆になった。きっとみんなにそういうものがある。
ひとつの商品なのか、事業なのか違いはあるかもだけど、きっとそういうものがある。

haco!がこれまで成長してこれたのは、ただかわいい洋服屋さんだったからじゃないでしょ。いつだって、その後ろにある思想や哲学に共感してくれた人たちがみんな仲間になって応援してくれたからですよ。

20歳になったhaco!へ僕からのお願いです。
お客さまと一緒に、知恵を絞って、思いを重ねて。
しあわせな未来を作り出す装置になってください。

ありがとうございます、がんばります!
お客さまにこの記事を読んでいただくのがとても楽しみです。